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第71代引退挨拶①神下大樹

 お世話になっております。4年元スナイプクルー神下です。最後のブログがやってきました。今まで通り何もプロットを考えていないので、もしかしたら長い文になるかもしれないし、意外と短いさっぱりしたものになるかも分かりません。今自分の中には、まだ引退したという実感が正直沸いていませんので、とりあえずつらつらと書いていこうと思います。

 まず大前提として、ヨットは右肩上がりの競技だったと感じます。したがって、最初が一番面白くなかったです。入部理由はおしゃべりできるからというだけだったのですから、競技に関しては集団に属するための義務とすら思ってました。そうです、知らないものが怖かったんです。とりあえず自分の動きが船にマイナスに作用するところからのスタートでした。見様見真似で動作を形にして、陸で何か新しく教えてもらったときに理解はすれどなかなか身につかないで、下りのランニングで置物になる。そんな春合宿の成果を出す前に、コロナ禍になって、結局レースデビューは2年の夏季オープンに八重樫とでした。ここから、3年の全日まで、正直レースの景色は全くつかめていませんでした。その間、ペアを組んだのは同期のスキッパーだけで、二人で試行錯誤をしながら挑むレースはなかなか勝てなかったですが、やりがいはありましたし、そこになんとなく面白さを見出していました。気づいたら4年になって、クルーからスキッパ―に転向した後輩の平田と乗るようになりました。おいおい、全然前走ったことない自分が後輩をしっかりリードできるんかいな、とか思いつつも、乗ってみれば彼はみるみる上達していって5月の関西春期ではチーム内では一番の成績を出すことができました。といって真ん中いかない位の順位ですが。ここからチーム内での切磋琢磨というか、セーリング一つとっても同期のスキッパ―に負けたら悔しくて、何とか平田と前を走ってみたいという気持ちがありました。しかし同時に、クルーとしての自信をまだ固められていなくて、レグ引きで何が重要かずっと考えていました。そんな胸中で挑むレースは空回り気味で、平田を前で走らすことはなかなかできず、結局、中国インカレでは、直前までのレースの結果を踏まえて、八重樫と乗ることになりました。レース自体は勝ちましたし、やれることはやりました。が、柔軟な発想に至る余裕は自分にはありませんでした。平田には絶大の信頼を置いていましたが、自分を信用できなかった。中イン後、全日本実業団レースがあり、アイシンはっやい社会人の方々と交流をさせていただけました。ここでのペアは平田で、心機一転、めっちゃ前走ったろとか思いながら挑んだらスタート時ピン上でぼこぼこにやられたりしながら、結局チーム内では4位になってしまいました。正直自分の責任でした。このレースから全日のレース通して言えることですが、ファーストタックのタイミングはもっとシビアになるべきでした。そして全日本インカレも八重樫と出ました。結果は不甲斐ないものだったのですが、気持ち的には何レースでもできるような、今までにない感覚でした。スタートで下のルームを守り切れず一番後ろからの始まりだったとしても、殿やなとか思いつつ冷静にレグを引けば1上を30番代で回れたりすることもあり、やっと理をつかみ始めたと思ったら引退でした。

 3年までに比べて4年になって目まぐるしく変化が自分にもチームにも起こっていく中で、すぐに結果は出るものではないということを考慮するのが自分にはできませんでした。焦った方がいいと言っているのでは決してなくて、まずはクルー(のほうがスキッパ―より早い段階で前見れると思ってる)で前を走った時の景色を見て、その景色を見るためにどうしたらいいのかを考えていくほうがいいでって後輩に伝えたいです。ヨットをやってて、クルーをやっていると、自分がプラスに作用できる場面を見つけるより、タイミングを見極める方が重要で難しいと感じました。そんな自分の感覚を最大限に活用しつつ、常に頭を働かすヨットという競技に4年間捧げたことを、今となっては幸せだったと感じます。

 いろんなスポーツがある中で、ヨットという競技は特に多くの人の力が集まって成り立っていると思います。レースを運営する方々、競り合うための他艇に乗る方々、レースメンバーをサポートする方々、練習を行う上でご助力いただいた方々、ハーバーの方々、ここでこれまで自分が関わってきたすべての人に感謝を申し上げたいと思います。特に様々な援助をいただいたしぶき会や実際の練習に来てくださったOB・OGの方々、監督、羽倉先生、多くの力ある言葉とその背中をもってして導いてくれた前田コーチ、そして迷惑かけたであろう後輩たちには、特に感謝してます。次の代でも、こんな自分が力になることがあれば相談でもいいので気兼ねなく声をかけてくれれば幸いです。そして、最後に、何も言わずに支えてくれた父ちゃんと母ちゃんには、有難うやでって気持ちでいっぱいです。わざわざ大阪から広島行って何すんのかと思ったらヨットだったことで驚かせてしまったかもしれませんが、部活中にどんなしんどい思いをしても、最悪実家に逃げたらええかっていう心の拠り所は最後の砦として一番大事だったかもしれません。あの差し入れのセンスを自分も受け継いで後輩に支援していけたらなと思います。 

 それでは結局長くなってしまいましたが、ここいらで自分の引退ブログを〆させていただきたいと思います。4年間お世話になりました。


広島大学体育会ヨット部

観音マリーナ

広島県広島市西区観音新町4丁目2374-86