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第71代引退挨拶④八重樫直希

こんにちは。

71代では経理を務めていました、スナイプスキッパーの八重樫直希です。

 

 だらだら長い文章を書くのは、自分には似合わないので、簡潔に書くつもりです。

 

このブログで伝えたいことは2つ。「やりきった」ということと、「感謝」です。

 

 まず、ひとつ「やりきった」ということについて。自分は4年間やりきったと思ってます。自分のこれまでの人生で、何か一つのことに打ち込んできたことはなかったので、大学生の時間のほとんどをヨットに費やしてこれたことに達成感はありませんが、自分自身に驚いています。飽きっぽいので。勉学は大学に入って早々に諦めました。

 

 ヨット部に入った理由はよく覚えていません。なんとなくです。でもどこかで、自分の可能性を試したくなったのかもしれないと今では思っています。かっこよく言えば。

 ヨット部に入部するまではわかりませんでしたが、ヨットはとてもスリリングなスポーツだと思います。微風のときは穏やかですが、自分の力量に合わない強風が吹いたときのジャイブやリーチング、特に乗りたての時期は、正直死ぬかもしれんなと思っていました。3年経って広島ではある程度吹いても楽しくのれるぐらいの技量は身につけました。

 

 4年生になって部活動への規制が緩和されると、練習時間を沢山つくることができるようになりました。沢山練習できるのは良いことではありますが、全日海上での練習は結構しんどかったです。ヨット以外にも経理のことなど考えることが増え、ヨットに乗っているときにもお金のことを考えていました。心配しても仕方のないことで悩み、心身やられました。福山雅治の歌詞が妙に刺さり、自分が運転するセレナでかけるようになったのは4年生の夏合宿ぐらいだったと思います。

 中インを突破し、夏合宿の終盤に入ったあたりで、自分の柔軟のなさが祟り、腰痛持ちになってしまいました。そこからは痛み止めを飲みながら自分のやれることは精いっぱいやってきました。ガサツな自分なりに、自分のできる限り丁寧にやってきたつもりです。良い結果を報告できなかったことについては一抹の心残りはありますが、あのときこうしておけば良かったという後悔はありません。

 

もうひとつ「感謝」について。

 

 まず、親には特に頻繁に連絡もせず、何事も事後報告だったのにもかかわらず、毎度必要な資金を援助してもらったことに対して、感謝を申し上げたいです。恥ずかしながら金銭以外で自分から連絡したことは一切ありませんでしたが、決して多くはないであろう貯蓄の中から私の活動、夢に対して惜しみなく出資してくれたのは、本当に有り難かったです。最後、北海道から琵琶湖に私の生存確認をしに来てくれたのは感謝より驚きが勝ちましたが。

 次に同期。自分の大学生活の中で最も重要なピースを担っていたのが同期だと思います。お友達も多くはいないので。ほとんどのことに関して同期に頼っていたと思います。練習のことに関して言えば、専ら莉久と彩人と神下に引っ張ってもらっていたし、部全体の雰囲気を作っていたのは因幡をはじめとする同期だったと思います。お世話になったな。中イン、全日とスタメンで出してもったのも感謝です。本当にありがとう。

 監督、盛谷コーチ、前田コーチをはじめOBOGの方々。チャッカーからの声や、日頃のご支援ありがとうございました。前田コーチにはほぼ毎週来て、コーチングや一緒に練習をしてくれ、最後まで我々を鼓舞していただき、自分にとってほメンタルサポーターでした。ありがとうございました。さらに、今年はしぶき会より多額の備品への支援を頂き、経理としてもありがたく思っていました。

 

最後に後輩。大学生という人生の大事な時間を、短い時間ではあったけれど、一緒に切磋琢磨して過ごした時間はかけがえのないものだと思います。感謝しています。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

今後は72代ヨット部をどうぞよろしくお願いします。

 

 

4年間お世話になりました。

 

 

 

八重樫直希

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コメント: 1
  • #1

    小川九人雄  昭和39年卒業82歳 (月曜日, 21 11月 2022 20:52)

    私の代は9名仲間が同期がいましたが9月と11月に相次いで病気で亡くなりました。心の中にぽっかり穴が空いたようです。非常に寂しいです。卒業以来皆頑張っていると思いつつ同期の絆は捨てがたく
    何かというとすぐにTELするとおい お前で話が分かりました。今からの長い人生を同期の友を大事にして下さい。そしてOBとしてやはりヨット部を応援してください。


広島大学体育会ヨット部

観音マリーナ

広島県広島市西区観音新町4丁目2374-86